また、アメリカのスミソニアン自然史博物館の歴史を紐解くことで、20世紀のアメリカのジュエリー事情を知ることができるでしょう。
<スミソニアン自然史博物館>
数十カラット、数百カラットの途方もなく大粒の宝石がごろごろと展示されているスミソニアン自然史博物館。

〈ワシントンD.C. 国立自然史博物館/写真:保屋野参/アフロ〉
スミソニアン自然史博物館は、1829年、イギリス人の化学者であり、鉱物学者のジェームズ・スミソン(1765-1829年)が、スミソニアン協会設立のために、誕生間もないアメリカ合衆国に全財産を遺贈したことに始まります。
彼は、それと同時に、1万点以上の鉱物標本のコレクションも遺贈しています(注17.)。
スミソニアン協会の国立宝石コレクションは、長年、アメリカをはじめ世界の人々を楽しませてきましたが、それはおもに個人からの寄贈で成長してきたのです。
特に、大富豪マージョリー・メリウェザー・ポスト(1887-1973年)が遺贈したジュエリーコレクションは、スミソニアン自然史博物館を特別なものにしたのです。
<マージョリー・メリウェザー・ポストの遺産>
マージョリー・メリウェザー・ポストの父親は、ポスタム・シリアル・カンパニーの創業者でシリアル界のパイオニアです。
1914年にポスト氏が亡くなると、娘のマージョリーがのちにゼネラルフーズ・コーポレーションに改名する父親の会社の大株主になります。
彼女は27歳にしてアメリカでもっとも裕福な女性の仲間入りを果たしたのです。
第一次世界大戦終了後の1920年代初頭は、女性たちが華やかな服や精緻なジュエリーを身にまとい、手に入れた自由を謳歌した時代でした。上流階級の集いは、大きな宝石や豪華なジュエリーに彩られたものでした。

〈マージョリー・メリウェザー・ポスト/1920年/写真:ZUMA Press/アフロ〉
1920年に資本家のE・F・ハットンと結婚したミズ・ポストは、初めて高額な宝石を購入します。その後1920年代から1960年代にかけて彼女は、高額なジュエリーを購入し続けます。
現在のスミソニアン・コレクションに所蔵されているミズ・ポストのエメラルド・ネックレス、マクシミリアン・エメラルド、マリー・アントワネットのダイヤモンド・イヤリングは当時ミズ・ポストが買い集めたジュエリーなのです。
第二次世界大戦後、多くのヨーロッパ貴族が経済的に破綻し、一族に代々伝わってきた宝飾品を生活のために売却せざるを得なくなりました。
いくつかの大手宝石商がそのようなアンティーク・ジュエリーを購入しましたが、その主な目的はジュエリーそのものではなく、それに使われている宝石でした。台座から外し、リカットして現代的なデザインに作り直すことでした。
そのような状況で、少なくとも2つの歴史的なジュエリーが彼女の収集熱のおかげで救われたのです(注18.)。
彼女が寄贈したうち、2つの重要なジュエリーを紹介しましょう。
<マリー・ルイーズの王冠>
一つは、彼女が、ヨーロッパの宝飾企業から購入し、のちにスミソニアン自然史博物館に寄贈した王冠です。[画像③]
実はこれはナポレオン皇帝から皇后マリー・ルイーズ(1791-1847年)へ贈られた結婚祝いの品でした。

〈マリー・ルイーズの王冠/提供:Bridgeman Images/アフロ〉
1971年、マリー・ルイーズの王冠は、マージョリー・メリウェザー・ポストからスミソニアン国立宝石コレクションへ寄贈されました。
オリジナルの王冠に組み込まれていたエメラルドは1954年から1956年にかけて、ヨーロッパの宝飾企業によって取り外され、代わりにペルシャ産ターコイズがセットされたのです(注19.)。
もう一つは、彼女がアメリカの宝飾企業から購入したダイヤモンドのネックレスです。
これも1811年にナポレオン皇帝が皇后マリー・ルイーズへ贈ったものでした。
<ナポレオンのダイヤモンド・ネックレス>
1811年の世継ぎ誕生を祝ってナポレオン1世から皇后マリー・ルイーズに贈られたダイヤモンド・ネックレスです。
総重量約263カラット、234個のダイヤモンドが金銀の台座にセットされており、最大のダイヤモンドは、約10.4カラット。

〈ナポレオンのダイヤモンド・ネックレス/提供:Bridgeman Images/アフロ〉
最終的にこのダイヤモンド・ネックレスは、1948年にハプスブルク一族の手を離れます。

〈ナポレオンのダイヤモンド・ネックレスを身に着けたパルマ大公妃当時のマリー・ルイーズ/1837-1839年/ジョヴァンニ・バティスタ・ボルゲーシ/パルマ国立美術館所蔵〉
マリア・テレサの義理の息子にあたるリヒテンシュタイン公フランツ・ヨーゼフ2世によって、彼のいとこのマックス・ユージーン大公の同意のもと、ジュネーブとパリを拠点とする宝石商ポール・L・ワイラーに売却され、その後1960年にアメリカの宝飾企業がネックレスを入手し、1962年にマージョリー・メリウェザー・ポストが購入。
同年の暮れ、スミソニアン自然史博物館に寄贈しています(注20.)。
文:槐 健二
【参考文献】
ジェフリー・エドワード・ポスト 著 甲斐理恵子 訳 2021.「スミソニアン宝石コレクション 世界の宝石文化史図鑑」原書房
注17. p.9
注18. p.14
注19. pp.23-24
注20. pp.29-30