絵画の世界で起きた事象は、宝飾品の世界でも起こります。
今度はヨーロッパからアメリカに渡った宝飾品について見てみましょう。
フランスでは、1789年のフランス革命から、ナポレオン治世の終焉を経て、さまざまな革命が続いた100年の間に、1530年より引き継いだフランス王家の豪華なジュエリーの数々が売りに出されます。
<フランス王家伝来のジュエリーの競売>
1870年、普仏戦争(1870-1871年)に敗れ、フランスを追われたナポレオン3世(1808-1873年)一家はロンドンに亡命します。
当然、彼らは、皇后ウジェニー(1826-1920年)をはじめ王家の人々が使っていたジュエリーを持ち出してフランスを離れ、それらをロンドンで売却して、生活の足しにしたのです。

〈フランス国王ルイ16世王妃、マリー・アントワネットがかつて所有したダイヤモンドの宝飾品(競売大手サザビーズが2018年6月13日公開)〉
一方、時の統領政府の大統領ジュール・クレヴィ(1807-1891年)は、自身の政治的立場を強化するために、フランス王家歴代のクラウン・ジュエリーをほとんどすべて売却してしまいます。
1872年にフランス大蔵省に回収されていたフランス王家伝来のジュエリーは、1878年と1884年の2回に分けて一般公開されています。
48ロットからなるフランス王家歴代のジュエリーは、1887年5月12日から23日にかけて、すべて競売にかけられたのです(注12.)。
競売にかけられたこれらのジュエリーを、アメリカの宝飾企業ティファニーが購入に動きます。
<フランス王家のジュエリーを購入するティファニー>
1837年の創業以来、チャールズ・ルイス・ティファニー(1812-1902年)は王室や貴族たちが手放した宝石の数々を買い上げていきます(注13.)。
その際たる例は、ブルボン王朝歴代の宝飾品を競売で買い集めたことでしょう。
先述の通り、1887年、フランス・ブルボン王朝歴代の宝飾品の競売がパリで行われました。ティファニーも参加し、全体で69点あった宝飾品の中から24点を落札し、最大の買い手となったのです。
さらにこの年、アフリカで産出された最大のダイヤモンド原石4個や、英国のヘンリー・ホープ氏が集めた有名なホープ・コレクションなども買い入れています(注14.)。
ティファニーが落札して購入した24点の中には、フランスのウジェニー皇妃所有の4連からなるダイヤモンドのボディス用装身具も含まれていました。
ティファニーはこれを競り落とした同日の午後には、出版王のジョセフ・ピュリッツアー(1847-1911年)に売却しています。そして夫人のケート・ピュリッツアーはそのボディス用装身具を着けて、その晩のパリの舞踏会に出席したのです(注15.)。

〈ウジェニー皇妃が所有していた4連のボディス・ジュエリー〉
ティファニーが、こうした巨大な宝石を立て続けに買い入れることができたのは、それを購入してくれる富裕な顧客を多数持っていたからです。
事実、モルガンを始め、アスター、ヴァンダービルド、グールド、スタンフォードなどの大富豪は、彼の顧客であり、友人でもありました。
チャールズ・ティファニー自身が、アービントン・オン・ハドソンという静かな町の「百万長者通り」と呼ばれる場所に自宅を移していましたが、この通りに住む隣人は、モルガン、ロックフェラー、ヴァンダービルド、ウェンデル、そしてグールドなどの大富豪だったのです(注16.)。
ここでも、アメリカの富豪が台頭し、ティファニーを通じて、フランス王家の豪華なジュエリーを購入するという、当時のアメリカの資金力をまざまざと見せつけたのです。
文 :槐 健二
作画:コダマ マミ
【参考文献】
注12. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 pp.88-89
注13. ジョン・ローリング 文 長谷川香苗 訳 2007.「The Jewels of TIFFANY 1837-2007」アプトインターナショナル p.20
注14. 山口遼 著 1987.「ジュエリイの話」新潮社 p.82
注15. ジョン・ローリング 文 長谷川香苗 訳 2007.「The Jewels of TIFFANY 1837-2007」アプトインターナショナル p.21
注16. 山口遼 著 1987.「ジュエリイの話」新潮社 p.82