<はじめに>

今回は、19世紀後半から20世紀にかけてのアメリカを取り上げます。

アメリカは1861年から1865年にかけて起こった南北戦争終結後、1776年にイギリスから独立を勝ち取って1世紀となる1870年代末には、農業社会から工業社会への転換に成功して、世界最大の工業国にのし上がりました。

この時代、とりわけ鉄道、石油、鉄鋼、砂糖、ゴムの分野で大資本家を輩出し、新産業の拡大に伴い、無一文の人間にも一攫千金のチャンスがありました。

それはカーネギーやロックフェラーなどの大富豪が、一代で巨万の富を築いたことでも知られています(注1.)。

その後、1870-1893年に急激な経済成長を遂げたアメリカはまさに黄金時代を迎えていきます。

突出した富裕層が生まれたアメリカでは、豊富な資金力を背景にヨーロッパから美術、工芸品、そして宝飾品などを購入していきます。

今回は、世界の覇権を握ったアメリカが、ヨーロッパから購入した数々の宝飾品や宝石の系譜に焦点を当てながら、この時代を読み解いていきたいと思います。

まずは、当時のアメリカ人のマインドを理解する上で、印象派絵画がヨーロッパから海を渡り、アメリカで一大コレクションを形成するに至った経緯を見てみましょう。

<大西洋を渡った印象派絵画>

アメリカ人は当時、根深いコンプレックスを抱えていました。

成り上がり国家の悲しさで、お金はあるものの国自体に歴史がなく、ヨーロッパの人々が教養として持っている古典への造詣もない。

フランスのような長い王朝としての歴史もないため、ルイ14世(1638-1715年)がヨーロッパ中に範を示した絢爛華麗な建造物や文化財を有する国に、強い憧れを抱いていました。

そして資産を形成した今こそ、箔をつけるため子弟を憧れのフランスに行かせ、何とか新たな、自他ともに誇れる文化を形成したい、それが悲願でした(注2.)。

アメリカでは、収集された絵画と財を未来のために活かすプロテスタント精神とそれを支える資本主義と愛国心によって、美術館文化が大きく発展します。

そして、この時すでに、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアなど公立美術館の建設ラッシュを迎えていました(注3.)。

ところが、箱物はできても肝心の展示物をどうするか。そこを埋めるには、アメリカ人画家にまだ力がないのは明らかでした。

美術館に集客するためには、目玉となる作品が絶対に必要だったのです。

〈メトロポリタン美術館/写真:マリンプレスジャパン/アフロ〉

ところが、ヨーロッパから名画を購入するにしても、ダ・ヴィンチの「モナリザ」やベラスケスの「ラス・メニーナス」、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」といった、世界中から大勢の集客を見込める傑作は、どんなに大金を積んでも手に入れることは叶いません(注4.)。

名品を欲するアメリカのこの状況が、当時ヨーロッパで日の目を見なかった印象派絵画に幸いしました。

もとよりアメリカ人は、ヨーロッパ人のように古典主義に対する先入観が薄く、文化的コンプレックスを抱いていたフランスからもたらされる新しい美術を歓迎しました。

またアメリカの富裕層は、そのほとんどがプロテスタントかユダヤ人であったため、装飾性が強く、聖書など古典絵画的な主題性が強くない印象派絵画を受け入れやすかったのです(注5.)。

これがまさに1870年代当時のアメリカの現状だったと言えるでしょう。

その後、製糖業で財をなした大富豪ヘンリー・オズボーン・ハヴェマイヤー(1847-1907年)と妻のルイジーン・ハヴェマイヤー(1855-1929年)は、アメリカ人で女性の印象派画家メアリー・カサット(1844-1926年)の助言を受けながら、驚くべきコレクションを収集し、ニューヨークのメトロポリタン美術館に、マネ6点、モネ8点、クールベ17点、ドガ10点もの、世界屈指の印象派コレクションを寄贈しています(注6.)。

〈踊り子たち、ピンクと緑/エドガー・ドガ/1890年頃/メトロポリタン美術館所蔵〉

ドガの『踊り子たち、ピンクと緑』を含むこれらのコレクションは今でもメトロポリタン美術館の目玉の一つとなっているのです。

また、1870年に創設、1876年に開館したボストン美術館も、社会貢献を志す市民から数多くの美術品が寄贈され充実したコレクションが築かれました。

特にバルビゾン派からポスト印象派にかけての19世紀フランス絵画は、非常に充実したコレクションとなっているのです(注7.)。

さらに、当時のアメリカの大富豪に共通する深層心理を見てみましょう。

彼らはイタリアルネサンスの庇護者メディチ家に深く共感していたようです。

<メディチ家に共感するアメリカの実業家>

アメリカの経済勃興期に活躍したアンドリュー・カーネギー(1835-1919年)、ジョン・D・ロックフェラー(1839-1937年)やアンドリュー・W・メロン(1855-1937年)といった偉大な実業家たちは、ルネサンス期に、文芸の庇護者となったメディチ家をリスペクトしていたのです。

現代のアメリカ企業は、まさに、文化助成のために尽力するというメディチ家のマインドを引き継いでいると言えるでしょう(注8.)。

歴史に名を残した文芸の庇護者と言えば、メディチ家のほかにも、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)を擁護し、フランス・ルネサンスの父と呼ばれたフランソワ1世(1494-1547年)、ルイ14世(1638-1715年)や啓蒙思想家ヴォルテール(1694-1778年)らと親交があったプロイセン国王のフリードリヒ2世(1712-1786年)などを思い浮かべますが、アメリカの富豪たちはメディチ家に固執していました。

それは何故でしょう?

額に汗して働いた記憶も新しい、当時のアメリカの富豪たちにとって、メディチ家が「王」ではなく「商人」の出身だということで、ある種の親近感を抱いたのです。

メディチ家が、宗教的信条や社会に対する義務感や責任感、あるいは巨万の富を得たことに対する一種の罪悪感から精神的な救いを求めようとして、文芸を庇護しようとしたことに自分たちの姿を重ね合わせからでしょう。

アメリカのビジネスマンに共通して見られるメディチ・コンプレックスとは、「経済的に成功を収める有能な経営者でありながら、学者からも尊敬を集めるような教養人になりたい」という、彼らの憧れと願望を象徴した心理だと言えるでしょう(注9.)。

当時のアメリカ経済が成長を続ける一方、ヨーロッパでは、没落したのに対面を保たなければならない困窮した貴族たちが数多く存在していました。

<ヨーロッパの没落貴族からアメリカの富豪に購入される名画>

そんな状況だったため、アメリカの富豪たちを顧客に抱える画商たちは、2つの大陸を豪華客船に乗って足繁く往復しながら、お金に困ったヨーロッパの名門貴族たちが先祖代々所有する名画の品定めに余念がなかったのです。

画商たちは絶えずヨーロッパを旅行し、名画を所有する貴族たちの経済状況を把握した上で、いくらなら手放すのか、彼らの自尊心を傷つけないよう、細心の注意を払いながら聞き出していたのです。

そして、アメリカに戻れば、富豪たちからは一体いくら引き出せるか、コレクター同士の競争心をあおりながら見極めて、交渉したのです(注10.)。

ワシントン・ナショナル・ギャラリーの設立に尽力したアンドリュー・メロンの例を挙げましょう。

1917年のロシア革命後、外貨不足に悩むソビエト政府が、旧ロシア皇帝のコレクションの一部を売却したがっているといううわさが駆け巡っていました。

但しその価格は、どんな富豪でも目をむくようなものだと言われていたのです。

〈アルバの聖母/1510年/ラファエロ/ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵/Andrew W. Mellon Collection〉

1836年、ニコライ1世(1796-1855年)がエルミタージュ美術館のために購入した『アルバの聖母』は、1931年、アンドリュー・メロンに 1,166千ドル(当時の絵画1点の世界最高額)で売却されました。

競合するコレクターとの競争に打ち勝ったメロンは、エルミタージュ美術館収蔵の旧ロシア皇帝コレクションから、最終的に計21点の絵画を購入し、その支払総額は6,654千ドルに上ったのです(注11.)。

これらのコレクションは、現在もワシントン・ナショナル・ギャラリーなどで観ることができるのです。

文 :槐 健二
作画:コダマ マミ

【参考文献】
注1. 中野京子 著 2011.『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』NHK出版 pp.173-174
注2. 中野京子 著 2011.『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』NHK出版 pp.174-175
注3. 木村泰司 著 2017.『世界のビジネスエリートが身につける教養 西洋美術史』ダイヤモンド社 p.229
注4. 中野京子 著 2011.『印象派で「近代」を読む 光のモネから、ゴッホの闇へ』NHK出版 p.175
注5. 木村泰司 著 2017.『世界のビジネスエリートが身につける教養 西洋美術史』ダイヤモンド社 p.224
注6. キャサリン・ベッジャー 文 2002.『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年 図録』p.13
注7. マルコム・ロジャース ボストン美術館 館長 2010.『ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち』p.10
注8. 岩渕潤子 著 1995.『大富豪たちの美術館 アメリカ・パトロンからの贈り物』PHP研究所 p.14
注9. 岩渕潤子 著 1995.『大富豪たちの美術館 アメリカ・パトロンからの贈り物』PHP研究所 pp.16-19
注10. 岩渕潤子 著 1995.『大富豪たちの美術館 アメリカ・パトロンからの贈り物』PHP研究所 p.146
注11. 岩渕潤子 著 1995.『大富豪たちの美術館 アメリカ・パトロンからの贈り物』PHP研究所 pp.151-152