<はじめに>

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパのジュエリー市場は、多様な広がりを見せていきます。

この市場の広がりは、産業革命による好景気を受けて、買い手となる新たな富裕層が出現したこと、そして彼らのニーズを満たす様々なジュエリーが生まれ、広がったためです。

この時代は、ヴィクトリア時代の流れを汲む大衆化された安価なジュエリーや、それまでとはテーストの違った、イギリスではアーツ・アンド・クラフツ、ヨーロッパ大陸では、アール・ヌーヴォーと呼ばれた斬新なジュエリーが登場します。

一方イギリスでは貴族階級、フランスでは新興富裕層であるブルジョア階級の人々が、社交の場で使う大ぶりで完全な左右対称をデザインの基本とするエドワーディアン・ジュエリーが出現します。

これら王侯貴族向けの堂々としたジュエリーが生まれた「エドワーディアン時代」は、ジュエリーの長い歴史の中でも、貴族やそれに準じる大富豪たちが、ジュエリーのトレンドを牽引した最後の時代です(注1.)。

今回は、1901年に、英国国王に就いたエドワード7世(1841-1910年)の時代に焦点を当て、産業革命後の経済的繁栄を謳歌したイギリスとフランスで花開いた、本格的なジュエリーをご紹介したいと思います。

<エドワーディアンという時代>

エドワーディアン時代とは、厳密には、1901年の即位から逝去する1910年までのわずか10年の、エドワード7世がイギリスの王位に就いた時代です。

ところが、ジュエリーの世界では、母后ヴィクトリア女王が公式の場に姿を現さなくなり、その公務を皇太子時代のエドワードとその妃アレクサンドラ(1844-1925年)が担い始めた1880年頃から第一次世界大戦の始まる1914年頃までと捉える場合があります(注2.)。

ここでは、後者のジュエリーの世界で使われている期間で話を進めたいと思います。

さて、様々なスタイルのジュエリーが花開いたこの時代に登場したエドワーディアン・ジュエリーとはどのようなものだったのでしょう。

まずはその特徴を見てみましょう。

<エドワーディアン時代のジュエリーの特徴>

ヨーロッパにおいて、1870年代から20世紀に入るまでの約30年間は、戦火を交えない平和な時代であり、その豊かさは永遠に続くかに見えました。

そのため、その後の20世紀の初めから第一次世界大戦勃発までのエドワーディアン時代、特に1910年頃までのヨーロッパは後にも先にもないほど繁栄し、宝飾品史上、ジュエリーが最も多く売買された時期でした(注3.)。

また、この時代は、社会の支配階級が、これまで通り王侯貴族であった最後の時期でもありました。

エドワード7世とアレクサンドラ妃が、正装時にティアラの着用を求めるなど、貴族階級の誰もが従う服装やジュエリー、そしてエチケットの基準を確立します。

そのため、この時代のジュエリーはエドワーディアン・ジュエリーと呼ばれたのです。

こうして貴族階級の人々が、権威の表象として着用したジュエリーは、異常なまでに堂々とした大振りなものでした(注4.)。

〈戴冠式の法衣をまとったエドワード7世とアレクサンドラ妃の肖像 / 1911年 / ルーク・フィルズ / Wikimedia Commons〉

エドワーディアン・ジュエリーの最大の特徴は、「白い」ということです。

宝石を留める台座がプラチナであったことに加え、メインの素材にダイヤモンドとパールを多用したことで、結果的に全体の印象が白くなったのです(注5.)。

またエドワーディアン・ジュエリーは、ティアラ、エイグレット、コルサージュ・ブローチ、ソートワールと呼ばれるネックレスなど、貴婦人が正装した時にのみ使えるような特殊なアイテムから成っていました。

これらは、普通の人が、身に着けたら身動きがとれないほど大振りなものだったのです(注6.)。

それではそのアイテムを当時の画像とともに一つ一つ見ていきましょう。

<ティアラ>

ティアラとは身分の高い女性が額の上に着けた頭髪飾りのことです。
この時代に、実に数多くのティアラが作られ、王族や貴族階級が公式の場で使用していました。

形状もさまざまでしたが、多くは、半円を描くようなカーブがついた形で、中央部に高い垂直の帯がついていて、ダイヤモンドなどさまざまな宝石が数多くセットされていました(注7.)。

〈1863年のプリンセス アレサンドラとエドワード王太子の結婚式 / ウィリアム・フリス / 1865年 / ロイヤル・コレクション / Wikimedia Commons〉

この絵画からも、プリンセス アレクサンドラとエドワード王太子の結婚式に参列したすべての成人女性が、ティアラを頭上に着けていることが分かります。

エドワーディアン時代以前のティアラの着用は、王侯貴族や国を代表する大使の妻に限られていましたが、20世紀初頭になると、エドワード7世とアレクサンドラ妃が交流を持ったより広い社会層が宮廷伺候や大夜会、オペラ座の特別公演などにティアラを着けて現れるようになったのです(注8.)。

<エイグレット>

エイグレットとは、鳥の羽根そのもの、または羽根を模した金属の薄板にダイヤモンドをあしらった部品を用いて、帽子や頭髪から上に向けて、兜の前立てのように立ち上げた形の装飾品のことです。

これは17世紀末から18世紀にかけて登場し、その後、19世紀中頃に再流行したのです。

〈エイグレットを身に着けているエヴァリン・ウォルシュ・マクリーンの肖像 / 1914年 / 写真:GRANGER .COM / アフロ〉

エイグレット(Eigrette)とは、フランス語で「白鷺」を意味しますが、初期のものは実際に白鷺の羽根を使っていたため、大変大ぶりでした。

その後20世紀にかけて作られたものは、ずっと小ぶりになり、小粒のダイヤモンドをあしらったものが多くなります(注9.)。

<コルサージュ・ブローチ/スタマッカー>

コルサージュ・ブローチは、別名スタマッカーとも呼ばれ、女性の胸元から腰のくびれた部分までを覆う三角形の布地、またはその箇所を装飾するジュエリーを指します。

通常、花やリボンがデザインされ、そこに多くの宝石があしらわれました。18世紀に登場し、その後エドワーディアン時代に流行したのです(注10.)

〈シャーロット王妃の肖像 / アラン・ラムゼイ / 1762年 / ナショナルポートレートギャラリー所蔵 / Wikimedia Commons〉

コルサージュ・ブローチが特徴的に描かれている肖像画をご紹介しましょう。

この女性は、1761年に英国国王ジョージ3世(1738-1820年)と結婚したシャーロット王妃(1744-1818年)で、翌年行われた戴冠式の際に描かれたものです。

正面に身に着けたコルサージュ・ブローチには、大きさの異なるリボンやロココの特徴である花や葉がリボンにからんだデザイン一面にダイヤモンドが散りばめられている(注11.)ことから、18世紀にはすでに立派なコルサージュ・ブローチが存在していたことが分かります。

<ソートワール>

ソートワールとは、19世紀末に流行した、ウェストラインに及ぶほど長く、通常は先端にタッセルと呼ばれる房状の飾りがついたネックレスです。

房の揺れがエレガントで、極めて美しいジュエリーです(注12)。

〈ベル・エポック期にソートワール・ネックレスを着けた女性〉

代表的なエドワーディンアン・ジュエリーを紹介しましたが、いかがでしたか?

「大ぶり」「正々堂々」「左右対称」といった、デザイン特徴が色濃く表れていますね。

文 :槐 健二
作画:コダマ マミ

【参考文献】
注1. 山口遼 文 2010.「ジュエリーコーディネーター 第49号 2010年夏」一般社団法人日本ジュエリー協会 p.1
注2. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.106
注3. 戸井田正己 著 1992.「アンティークと20世紀ジュエリー」柏書店松原 pp.102-103
注4. 山口遼 文 2010.「ジュエリーコーディネーター第49号 2010年夏」一般社団法人日本ジュエリー協会 pp.3-4
注5. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー -ヨーロッパの装いとライフスタイル-」株式会社タンザワ p.79
注6. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.106
注7. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー -ヨーロッパの装いとライフスタイル-」株式会社タンザワ p.106
注8. クレア・フィリップス 著 山口遼 監修 旦亜祐子 訳 2014.「V&Aの名品でみる ヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.114
注9. 山口遼 著 1987.「ジュエリイの話」新潮社 pp.185-186
注10. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー -ヨーロッパの装いとライフスタイル-」株式会社タンザワ p.106
注11. 穐葉昭江 文 2008.「別冊太陽 ダイヤモンド・ジュエリー アンティークからハイブランドまで」平凡社 p.36
注12. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.124