ロイヤル・アッシャー・ジャーナル
新連載『旅するジュエリー』

長い年月をかけて地球が生み出してきた光り輝く色とりどりのジュエリー。

いつの時代もこれらのジュエリーは人々を魅了し、ときに略奪の対象になり、また貢物として献上されてきました。古くは、商人や冒険家たちが、王侯貴族や宗教的な支配者などその時代の絶対的な権力者の求めに応じて、危険と隣り合わせになりながらも、貴重なジュエリーを遠い国々から運んできたのです。

今シリーズでは、『旅するジュエリー』と題して、「旅する」=「移動する」「広がる」「手から手に渡る」「受け継がれる」「贈られる」「持ち歩く」「影響を与える」など幅広い解釈を加えて、ジュエリーのルーツを探るとともに、産出地や交易地、魅了された権力者、それらを運んできた商人や冒険家、護符として持ち歩いた人々などジュエリーにまつわる様々な話を書いていきたいと思います。

 


 

さて、少し時代を下がってみましょう。

ラピスラズリが飛躍的にアフガニスタンから西側に広まった要因の一つに、マケドニアのアレキサンダー大王(紀元前356-紀元前323年)の東方遠征が挙げられるでしょう。

その歴史を追ってみましょう。

<アレキサンダー大王が作ったヘレニズム都市アイ・ハヌム>

アレキサンダー大王が、ギリシャ全土を掌握し、東方遠征の途についたのは紀元前334年のことでした。マケドニア軍は破竹の勢いで進軍し、紀元前331年にはギリシャ世界と長らく敵対していたオリエントの覇者アケメネス朝ペルシャ(紀元前500年-紀元前330年)を滅ぼし、紀元前326年にはついにインドのインダス河畔に到達したのでした(注17.)。

〈アイ・ハヌム関連地図 アレキサンダー大王の東方遠征と紀元前3世紀前半のヘレニズム世界〉

広大な帝国の要所には、70箇所ほどの「アレキサンドリア」と名付けられたギリシャ都市が建設され、ギリシャ系の人々の植民とともに、各地にギリシャ文化が拡散します(注18.)。

その後、紀元前323年に病死したアレキサンダー大王の帝国は、「後継者」を名乗る将軍たちによって分割され、西アジアや中央アジアの大部分は、セレウコス朝シリア(紀元前312年-紀元前63年)に引き継がれました。

アイ・ハヌムにギリシャ都市が建設されたのはこの頃でした。バクトリアと呼ばれたこの地域は、アム川とヒンドゥークシュ山脈に挟まれた肥沃な耕作地帯であると共に、ラピスラズリの資源に恵まれ、後継した帝国の王たちにとって、この地を統治するメリットがあったのでした。

アイ・ハヌムは、北方で活動する遊牧民等から恵まれた地域であるバクトリアを防衛し、周囲の耕作地とラピスラズリの採掘地バダフシャンを治めるための拠点都市として建設されたのです(注19.)。

 

さて次は、東西の交易路を通じて世界各地に広まったラピスラズリが、影響を与えた代表的な地域であり、シルクロードの要所であったサマルカンドを紹介しましょう。

<シルクロード、サマルカンドブルーとラピスラズリ>

ここでは、ラピスラズリの美しい青色が、街づくりに影響を与えたかもしれないという話をしたいと思います。
舞台は、中央アジアの古都サマルカンド。建築物が美しい青色で装飾された街です。
ラピスラズリとその青色の装飾の秘密に迫ってみたいと思います。

<シルクロードの要衝、サマルカンド>

中央アジアの乾燥した空との対比が美しいイスラム建築に施された青いタイル。現在のウズベキスタンは、中世と近代が入り混じった不思議な町で、中央アジアの中で最も美しい街と言われています(注20.)。

かつて、シルクロードの要衝であったウズベキスタン第2の都市サマルカンドは、シルクロードを介して繁栄した中央アジア最古の都市の一つで、紀元前7〜8世紀に街が形作られたとされています。

サマルカンドの語源は「ひとが集うところ」の意味で、7世紀には唐からインドに向かった玄奘三蔵(602-664年)も通ったと記録されている場所でもあります(注21.)。

<サマルカンドの青い尖塔群>

モノトーンの乾燥地帯に突如現れる青い尖塔群。

かつてのイスラム神学校が建つレギスタン広場や、立ち並ぶ王族の廟が象徴となり、ユネスコによって、2001年に「文化の交差点」として世界遺産に登録されています(注22.)。

〈ウズベキスタン サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群/写真:KONO KIYOSHI/アフロ〉

遺跡を覆う青いタイルの見事な幾何学模様。

建物に入ると窓からわずかに差し込む太陽光と影とのコントラストが神秘さを増します。

ひとことで「青」と言っても濃い瑠璃色から薄い空色、緑がかったものまで様々。サマルカンドブルーとはそれらの総称なのです。

〈1403年建造のサマルカンド、グル・アミール廟エントランスの蜂の巣天井/写真:Robert Harding/アフロ〉

これらの青いタイルは紀元前10世紀までにメソポタミアで発祥し、広がりました。ただし、それらを使った建物の多くは倒壊し、これほどの規模で残っている場所は現在ほかにありません。

チンギス・ハン(1162-1227年)率いるモンゴル帝国(1206-1635年)によって破壊し尽くされたこの地を「青の都」として復活させたのは、ティムール帝国(1370-1507年)の建国者である英雄ティムール(1336-1405年)でした(注23.)。

<青いタイルの謎>

なぜ、タイルが青色なのかは諸説あります。

現地で一般的に言われているのは、晴れ渡った空を表したというもの。
そして、もう一つは、シルクロードで交易されていたラピスラズリへの憧憬というもの(注24.)です。

宝石の美しい色への憧れが、タイルの色に影響を与えたかも知れないという仮説は大変興味深いことです。

当然のことながら、シルクロードの要衝であり、ラピスラズリの産地であるバダフシャンに近いサマルカンドにこの貴石が持ち込まれたことは十分考えられるでしょう。

神々を動かし願いを聞き入れるとも言われたラピスラズリのパワーは現代でも健在です。災いを祓い、知恵を授け、潜在能力やインスピレーションを高めて幸運へと導く石とされています(注25.)。

そのようなパワーストーンが持つ強いブルーが、イスラム教の建物や王族の廟などの重要な建造物の色に影響を与えたのはある意味自然だったのではないでしょうか。

<自然由来の製法で作られるタイル>

さて、タイルのこの青色を出すため、ティムールは隣国イランなどからタイル職人を連れてきたとされています。その製法は各工房で一子相伝のように継承されてきました。

ティムール時代にあった自然由来の製法で生み出された、青いタイルの製法は、それを記載した書物が残っていたことで、ある程度分かっています。

オリジナルのタイルは、欠落こそしているものの、600年以上経っても色は褪せていないのです(注26.)。

この褪色しないという特徴から、ラピスラズリを原料とした青色顔料を使ってタイルの色を出したのではないかと考えられているのです。

 

文 :槐 健二
作画:コダマ マミ

注17. 小野塚拓造 文 2016.「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝 図録」産経新聞社 p.30
注18. 萩野矢慶記 著 2016.「ウズベキスタン・ガイド シルクロードの青いきらめき」彩流社 p.14
注19. 小野塚拓造 文 2016.「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝 図録」産経新聞社 p.30
注20. 萩野矢慶記 著 2016.「ウズベキスタン・ガイド シルクロードの青いきらめき」彩流社 p.36
注21-24. 坂井光文 2023.7.9.「日経新聞 The Style」日経新聞 p.10
注25. 鏡リュウジ 著 2010.「星の宝石箱 運を呼び込むジュエリー&パワーストーン」集英社 p.101
注26. 坂井光文 2023.7.9.「日経新聞 The Style」日経新聞 p.10