さて、エドワーディアン・ジュエリーを特徴付けている要素の一つに、新素材プラチナの活用がありますが、なぜプラチナがこの時代に使われるようになったのでしょう。
その背景をご紹介しましょう。
<新素材プラチナを使用したジュエリーの誕生>
プラチナは、実は比較的新しい金属なのです。
南米で最初に発見され、自然塊として産出されたプラチナ「Platinum」の名は、スペイン語の「銀」を意味するプラタ「plata」の縮小詞「Platina」(かわいい小粒の銀) に由来します(注13.)。
プラチナは、丈夫で変色しにくく光沢を持つという特徴がある一方で、非常に稀少であったことや融解温度が1700℃を超えるほど極めて高いため、宝飾品に使われることはしばらくの間ほとんどありませんでした(注14.)。
そのため、初期の段階である18世紀から19世紀にかけて、プラチナ・ジュエリーの多くは、地金を叩き伸ばして作る鍛金に近い作りで、立体的なものや精緻なものはまだ作られていませんでした(注15.)。
ところが19世紀後半の技術革新により、プラチナをジュエリーの素材として使うことが可能になります。
プラチナの融点は1769度と極めて高く、以前は、この高温を出せる火力は存在しなかったのですが、1847年に酸水素を用いた、ガスバーナーの一種ブローパイプが発明されたことで、1890年代には安定して高温を出すことができるようになったからです(注16.)。
プラチナの使用を示すイギリスのもっとも古い文献によると、1805年、当時の皇太子が「プラチナの時計鎖」を購入した記録が残っていますが、現在のようにダイヤモンドを留める台座として用いられるようになるのは1870年頃で、さらに一般に広まったのは1900年頃でした(注17.)。
高温を出せる技術の確立により1900年頃に、金や銀と同様にプラチナを溶かし、鋳込み、溶接することができるようになったことで、ジュエリーの世界に、新素材であるプラチナを使ったジュエリーが本格的に登場することになるのです。
プラチナは軽く強靭であるため、レースのように繊細なオープンワークや小さく目立たない爪留めなどの精緻な細工を施すことができること、また変色しないという点でも宝石を留める素材として大変優れた地金であるため、一躍脚光を浴びます(注18.)。
まずは加工面からエドワーディアン・ジュエリーの特徴を詳しく見てみましょう。
<エドワーディアン・ジュエリー特有の加工技術>
エドワーディアン時代のジュエリーを作る工程でユニークな技術が2つあります。
1つは「ピアーシング」と呼ばれるものです。
プラチナの細い線をデザインに施す場合に使うピアーシングという技法は、一枚の金属板に糸ノコを使って線を切り残すもので、地金部分に透かし模様を作ることができたのです(注19.)。

〈ベル・エポック ダイヤモンドのプティ・ポワンのブレスレット・チョーカー / ラクロッシュ作 / 1914年以降 / 個人蔵〉
このジュエリーは、プティ・ポワンの刺繍を表現した、精緻なオープンワークの格子細工が見事に施されているブレスレット兼チョーカーです。
ピアーシングで作られた線は、張り付けた線よりもはるかにシャープで、だれた所のない凛とした線を生みだすことができたのです(注 20.)。
20世紀初期のジュエリーの繊細さ、優美さはこのプラチナという素材がもたらしたと言っても過言ではないでしょう。
それまでの軟質であったシルバーを使ったセッティングでは、素材を多量に用いる上に、補強のため衣服や肌に汚れが付着しないようにゴールドの裏打ちをしなくてはならず、どうしてもすっきりとした感じを出せなかったのです。
ところが、変色しない白さと硬さを併せ持ったプラチナは、素材をセッティングしている部分をほとんど目に見えないほど微細にすることができ、光が当たる面が広がったことで、ダイヤモンドをそれまで以上に、美しく輝かせることができたのです(注21.)。
もう1つは、「ミルグレイン」(日本ではミル打ち)と呼ばれる技法です。
これは金属の端の部分に専用の工具を使って刻み模様を入れた装飾、または、刻みを入れる工具でおこした一連のビーズ状の地金でガードル部分を押さえて、台座に宝石を留める技法のことです(注22.)。
この2つの技法は、エドワーディアン時代の職人の技術へのこだわりを示すもので、この時代のジュエリーの細工の素晴らしさを際立たせたと言えるでしょう。
一方、この時期、エドワーディアン・ジュエリーに使用されたダイヤモンドについても特筆すべきことが起こります。
<ダイヤモンドを輝かせたエドワーディアン・ジュエリー>
この時代は、宝飾品史上、最高級のダイヤモンド・ジュエリーが生まれた時代でもありました。
その背景をダイヤモンドの供給面から見てみましょう。
1860年代に南アフリカで大規模なダイヤモンド鉱床が発見され、1880年代の初めには、ヨーロッパのカッティングセンターに圧倒的な量のダイヤモンド原石が供給されることになります。
そのため、それまで続いたダイヤモンド不足という問題がここで一気に解消されたのです(注23.)。
このダイヤモンドの量的な問題の解決に加え、ダイヤモンドカットが進化したこともエドワーディアン・ジュエリーの美しさに大きな影響を与えます。
ダイヤモンドが稀少だった頃のカット職人は原石からできるだけ重量を残そうと考えました。
その結果誕生したのがクッション型の「オールド・マイン・カット」でした。
ところがこのカットからは高い屈折率や光の分散の多くを期待することはできませんでした(注24.)。

〈オールド・マイン・カットのダイヤグラム〉
その後、19世紀末期になると、新しいブリリアント・カット「オールド・ヨーロピアン・カット」が登場します。
ダイヤモンドはより薄く、フェイスアップで見た形は丸くなり、パビリオン側の先端であるキューレットが尖ったピンポイントに削られたことで、「オールド・マイン・カット」より一層輝きを得ることができたのです。
このカットは原石からの歩留まりが50%以下になりましたが、これは市場にダイヤモンド原石が豊富にあるからこそ大胆に削り落とすことができたのです(注25.)。

〈オールド・ヨーロピアン・カットのダイヤグラム〉
同時に白く輝く新しい金属プラチナは、その強靭な性質により、肉眼で見えるセッティング部分を最小化して、これまで以上にセットされたダイヤモンドを白く美しく輝かせることができた(注26.)のです。
つまり、ダイヤモンドのカット技術の進化とプラチナ素材の融合こそが、エドワーディアン・ジュエリーの美しさを際立たせた要因だったのです。
文 :槐 健二
作画:コダマ マミ
【参考文献】
注13. 岡田勝蔵 著 2014.「図解 よくわかる 貴金属材料」日刊工業新聞社 p.112
注14. クレア・フィリップス 著 山口遼 監修 旦亜祐子 訳「V&Aの名品でみる ヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.12
注15. 山口遼 文 2010.「ジュエリーコーディネーター 第49号 2010年夏」一般社団法人日本ジュエリ
ー協会 p.1
注16. 山口遼 著 2005.「すぐわかる ヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p .108
注17. クレア・フィリップス 著 山口遼 監修 旦亜祐子 訳 「V&Aの名品でみる ヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.12
注18. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー」株式会社タンザワ p.79
注19. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー」株式会社タンザワ p.104
注20. 山口遼 文 2010.「ジュエリーコーディネーター 第50号 2010年秋」一般社団法人日本ジュエリ
ー協会 p.1
注21. 戸井田正己 著 1992.「アンティークと20世紀ジュエリー」柏書店松原 p.103
注22. 黒岩トシオ 責任編集 2013.「丹沢コレクション選 アンティークジュエリー」株式会社タンザワ p.104
注23. 山口遼 文 2008. 「別冊太陽 ダイヤモンド ・ ジュエリー」平凡社 p.110
注24-25. 戸井田正己 著 1992.「アンティークと20世紀ジュエリー」柏書店松原 p.102
注26. 戸井田正己 著 1992.「アンティークと20世紀ジュエリー」柏書店松原 p.103