次は、ボストン美術館に収蔵されている歴史的なジュエリーを紹介しましょう。

<著名なジュエリーを所蔵するボストン美術館>

メトロポリタン美術館、シカゴ美術館と並び、アメリカ三大美術館の一つに数えられるボストン美術館は、世界有数の百科事典的コレクションを誇り、あらゆる時代のあらゆる文化を網羅していることで有名です。

王室や大富豪が抱えていたコレクションを元にゼロからスタートし、民間により運営されてきたボストン美術館は、その後、有志による寄贈が相次いだことで、現在ではおよそ50万点を超える収蔵品を有するまでになったのです(注21.)。

そのボストン美術館には、歴史的に重要なジュエリーも所蔵されています。

<リンカーン夫人のジュエリー>

まずは、第16代アメリカ大統領リンカーンの夫人、メアリー・トッド・リンカーン(1818-1882年)のブローチとイヤリングを紹介しましょう。

〈アメリカ合衆国大統領夫人 メアリー・トッド・リンカーン/写真:Everett Collection/アフロ〉

〈メアリー・トッド・リンカーンのブローチ/金、エナメル、ダイヤモンド/アメリカ/1860年頃/厚1.3×径3.0cm〉
〈メアリー・トッド・リンカーンのイヤリング/金、エナメル、ダイヤモンド/アメリカ/1860年頃/厚2.4×径2.1mm〉

これらは、四つ葉をモチーフにダイヤモンドを配したブローチとイヤリングです。

マインカットの小さなダイヤモンドが爪留めで金にはめ込まれ、黒い部分は七宝によるものです。喪中の終わり頃に着けるのに適したジュエリーで、実の息子の死に際して用いられたとみられています。

メアリーは掛けで買い物をすることが多く、夫リンカーンの死後は負債に苦しんだようで、本品は借金の返済のために350ドルで売りに出されています(注22.)。

<英国王室所縁の日本風ブローチ>

黒色のオニキスで縁取られ、敷き詰められたダイヤモンドを背景に同じくオニキスの枝が伸び、先端にはバフトップのルビーの小さな梅の花が咲いている本作は、英国国王ジョージ5世(1865-1936年)の妻メアリー王妃(1867-1953年)が所有していたもので、19世紀末に登場するとまたたく間に一流メゾンとして頭角を現したラクローシュの作品(注23.)。

〈ラクローシュ・フレール社/フランス/1925年頃/プラチナ、金、エナメル、ダイヤモンド、ルビー、オニキス/縦3.6×横5.2×厚0.6cm〉

アール・デコ様式が主流だった1920年代は日本風のスタイルが流行しており、当時のドレスはシンプルで丈が短かったため、低めのウェストラインに着けることを想定してデザインされています。

若い頃のメアリー・オブ・テックは時代の先端を行く装いを好んでいましたが、年齢を重ねるにつれ、現代的なデザインのジュエリーを身に着けることはなかったそうです(注24.)。

このブローチは、「For Angela from Mary R, 1952」という手書きのメモから、メアリー王妃が孫であるジェラルド・ラッセルズの結婚に際して、妻となる女優アンジェラ・ダウディングに、贈ったものとされています(注25.)。

次に、天才と呼ばれたロシアのピーター・カール・ファベルジェ(1846-1920年)のイースター・エッグコレクションを買い集めた富豪フォーブスについて見てみましょう。

欧米の大富豪の中には、資産を投じて美術品などのコレクションを収集して、それを自分の個人的な美術館で公開する人が多いのです。

フォーブスによるカール・ファベルジェのイースター・エッグのコレクションはその最たる例として知られています(注26.)。

<カール・ファベルジェのイースター・エッグ>

カール・ファベルジェは、ロマノフ家最後の皇帝2人とその家族のために、宮廷で使うさまざまな品物を宝石と貴金属を用い、多くの優れた職人を使いながら作り続けました。

ジュエリーは少なくむしろ皇帝からの下賜品や時計、花瓶、文房具、写真立てなどの実用的な品物が多いのが特徴です。

特に有名なのは、皇帝の后2人のために作った約50個に及ぶイースター・エッグです。

ロシア正教徒にとっては、キリストの誕生を祝うクリスマスよりもキリストの復活を祝うイースター祭の方が大切でした。

彼らは復活の象徴として装飾した卵を贈り合っていましたが、ファベルジェは皇帝と后のために、宝飾技術の粋を凝らしてイースター・エッグを約30年にわたり作ったのです(注27.)。

イースター・エッグのコレクターとなったマルコム・スティーブンソン・フォーブス(1919-1990年)について触れましょう。

<NY フォーブス・コレクション>

彼は、父のバーティー・チャールズ・フォーブス(1880-1954年)が創刊した経済誌「フォーブス」の発行人として知られています。

資本主義・自由主義経済の熱心な推進者だった彼は、ヨットや美術品などのコレクターとして知られていましたが、なかでもインペリアル・イースター・エッグの収集はつとに有名でした(注28.)。

経済誌フォーブス社の社屋が、かつてニューヨークの5番街を下方に下がったところにあり、そのビルの中に、マルコム・フォーブスが、手当たり次第に集めたコレクションこそが、フォーブス・コレクションでした。

宝飾品史に残る天才の一人である、カール・ファベルジェの作品を当時は数多く自由に見ることができる唯一の場所だったのです(注29.)。

かつてここでは、カール・ファベルジェの作品が215点ほど展示され、その中には12個のイースター・エッグが含まれていたのです(注30.)。

〈イースターエッグ・ルネサンス/ファベルジェ博物館/サンクトペテルブルグ ロシア/写真:アールクリエイション/アフロ〉

イースター・エッグの最高傑作とも言われるこのルネサンス・エッグは、元フォーブス・コレクションの一つです。白いカルセドニーをくり抜いて作ったエッグの表面に、七宝や宝石の格子細工が見事に施されています(注31.)。

彼の死後、収集品のイースター・エッグ9点は、サザビーより2004年にオークションにかけられる予定でしたが、ロシアの石油王で、美術品収集家のヴィクトル・ヴェクセルバーグが購入。それらは1億2000万ドルの価値がある(注32.)とされており、ロシアへの里帰りを果たしています。

<最後に>

アメリカ人にとってジュエリーの持つ意味とは、なんでしょう。

宗教的な意味、 権力の証、 富の象徴、 自己実現の証、身を飾る装身具など、その役目は様々ですが、私は、アメリカならではの2つの意味合いがあるのではないかと思っています。

一つは「富の象徴」としての役目です。
急激にお金持ちになった当時のアメリカ人は、ヨーロッパの疲弊を横目で見ながら、高級ジュエリーや大粒のダイヤモンドを買い漁りました。まさに彼らが自身の経済的な成功をジュエリーで体現した「富の象徴」を表す典型的な例でしょう。

もう一つは、「ヘリテージ」としての役目です。
ヘリテージとは、先祖代々、受け継いでいる遺産、世襲の財産の意味。これは、移民国家としてのアメリカという特徴から来ているのでしょう。もうアメリカに来て何世代も、アメリカ人として生活していても自分の祖先のルーツはいつまでも大切にしています。

私のルーツはメキシコ、私はひいお婆ちゃんは苦労して海を渡ってきたロシアからの移民。そんな人達の集合体が、アメリカという国家を形成しているのです。

でも、そんな人達が大事にしているのが、先代から受け継いだジュエリーなのです。それは「自分のルーツを自覚する」ために大切にしている、いわば「ヘリテージ」としてのジュエリーなのです。

アメリカ人にとってのジュエリー観は上記の通りと考えますが、国家として見てみると別の側面が見えてきます。

歴史的に、急激に経済発展を遂げたアメリカに出現した当時の大富豪たちは、誇るべき歴史を持たない新興国である自国を嘆き、精力的に誇るべき文化を作ろうとヨーロッパの絵画や宝飾品を購入しますが、最終的には、美術館や博物館に寄贈という形で、国民が享受できるようにしていきます。

これは、ヨーロッパなどの王侯貴族が支配していた国家における「クラス社会への帰属を保証する」ジュエリーとは違い、アメリカにおいては「共和国の精神に則り、国家共有の財産としてのジュエリー」として今に受け継がれており、大変興味深いと感じるのでした。

文 :槐 健二
作画:コダマ マミ

【参考文献】
注21. 2022.「時空旅人別冊 ボストン美術館 権力者が愛した芸術」三栄 pp.66-67
注22. 2022.「時空旅人別冊 ボストン美術館 権力者が愛した芸術」三栄 p.97
注23. 笠原可名 著 2025.「ジュエリーを愛でる100のことば」翔泳社 pp.120-121
注24. 2022.「時空旅人別冊 ボストン美術館 権力者が愛した芸術」三栄 p.107
注25. 笠原可名 著 2025.「ジュエリーを愛でる100のことば」翔泳社 p.169
注26. 山口遼 著 1993.「世界の宝石博物館 ジュエリイの名品を訪ねて」徳間書房 p.124
注27. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 pp.104-105
注28-29. 山口遼 著 1993.「世界の宝石博物館 ジュエリイの名品を訪ねて」徳間書房 p.124
注30. 山口遼 著 1993.「世界の宝石博物館 ジュエリイの名品を訪ねて」徳間書房 p.125
注31. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.105
注32. The guardian 2004.1.9