ロイヤル・アッシャー・ジャーナル
新連載『旅するジュエリー』
長い年月をかけて地球が生み出してきた光り輝く色とりどりのジュエリー。
いつの時代もこれらのジュエリーは人々を魅了し、ときに略奪の対象になり、また貢物として献上されてきました。古くは、商人や冒険家たちが、王侯貴族や宗教的な支配者などその時代の絶対的な権力者の求めに応じて、危険と隣り合わせになりながらも、貴重なジュエリーを遠い国々から運んできたのです。
今シリーズでは、『旅するジュエリー』と題して、「旅する」=「移動する」「広がる」「手から手に渡る」「受け継がれる」「贈られる」「持ち歩く」「影響を与える」など幅広い解釈を加えて、ジュエリーのルーツを探るとともに、産出地や交易地、魅了された権力者、それらを運んできた商人や冒険家、護符として持ち歩いた人々などジュエリーにまつわる様々な話を書いていきたいと思います。
最初は、メソポタミアの西側、古代エジプトにおける、ラピスラズリを使った装飾品をご紹介しましょう。
古代エジプトの装飾品とは、ひとことで言うと、人類最長3000年の文明を通して、一貫して変わらない装飾様式と政教とが結びついたものです。そして、その装飾品にこのラピスラズリが使われているのです。
<古代エジプトの思想と装飾品>
紀元前525年にペルシャ帝国に服属する以前の古代エジプト(紀元前4000年頃-紀元前525年)は、今から6000年前の初期王朝時代に端を発します。
ナイル河の氾濫により、豊かな土壌に恵まれていたエジプトでは、農耕が行われ、早くから文明が栄えていました。紀元前4500年頃には、すでに都市文明が興り、独裁者による権力の集中が始まっていました。
そんな中、長い期間にわたって美術様式に殆ど変化が見られないことが最大の特徴であり、その根底にあるのが、その死生観と政教一致国家なのです(注8.)。
平均寿命が40歳に満たず、常に死を意識していた当時のエジプト人にとっては、来世で復活を果たし、永遠の命を得ることが切なる願いでした。
死後、肉体から切り離された魂が、再び戻って来世で復活するためには、肉体が朽ちることなく保存されることが重要だったのです。
根底に流れるこの思想により、古代エジプト人はミイラづくりの技術を磨き、来世で用いる日用品や財産を遺体とともに立派な墓に納めたのでした(注9.)

〈アヌビス(古代エジプトのミイラ作りの神)を示す壁画 エジプト センネジェムの墓/提供:Erich Lessing/K&K Archive/アフロ〉
当時の装飾品は純粋な美を目的としたものではなく、王であり神である王を荘厳化し、その死後は神殿や葬祭殿に埋葬して、魂が帰るのを待つ遺体を飾る物でした。美術品の中でも極めて大きな地位を占め、埋葬されたこともあって、今日我々は、膨大な数の壮麗な装飾品を目にすることができるのです(注10.)。
<エジプト人女性のファッション>
当時、エジプト人女性のファッションは、ぴったりとしたチュニックがだんだん多様化していき、黄金期を迎える新王国時代(紀元前1539-紀元前1087年頃)には、重ね着やシースルーの生地、ひだや結び目を楽しむなど、変化に富んだものになっていきました。また、貴石や七宝焼き、色ガラスなど、さまざまな素材を使った腕輪や首飾り、飾り帯などの装身具が、男女の衣服を鮮やかに彩ったのです(注11.)。

〈エジプト第18王朝の墓の壁画。様々な階級の人々が描かれている。〉
驚くことに、現在使われているジュエリーのほとんどは、ブローチを除いて、古代エジプト時代に生まれています。素材は金が中心で、ラピスラズリ、コーネリアン、トルコ石などの宝石類の他に、色ガラスなども見られました。
使われているモチーフは、スカラベや鷹、蓮の花、パピルス、邪悪なものをはねつける力を持つウジャットと呼ばれるホルス神の目、そして太陽を昼から夜へと運ぶはしけ(※エジプト人は、太陽は毎日生まれて死に、翌日には新しい太陽が生まれてくると信じた)など、すべてなんらかのシンボルであり、護符の意味合いもあったのです(注12.)。
古代エジプトのジュエリーの細工には、金線の間に色のある素材を入れてデザイン化したものが多く、一見すると後の有線七宝のように思われますが、実は、色石をカットして嵌入したものです。
この頃すでに金を銅版や皮革の間に挟んで、石で薄板を叩き出す方法やその板をねじって金線を作る方法、さらには粒金を作るための溶接技術までもマスターしていたのです。
デザインこそ神と宗教とに支配されていたものの、エジプトのジュエリーに使われている技術とその高い精度は、これが人類最古のジュエリーとは思えないほど見事なものでした(注13.)。
実際にラピスラズリが使われている象徴的な装飾品を2つご紹介しましょう。
<センウセレト2世の銘入りペクトラム>
「ペクトラムペンダント」とは、中王国時代(第12王朝、紀元前1845-紀元前1837年頃)に最盛期を迎えた古代エジプトで製作された宝飾品で、大きな胸当て状の首飾りのことです。

〈センウセレト2世の名が刻まれたペクトラム/中王国時代 第12王朝 紀元前1845年-紀元前1837年頃/メトロポリタン美術館蔵/提供:akg-images/アフロ〉
中でも傑作は、センウセレト2世(在位:紀元前1897年-紀元前1878年)の治世につくられたペクトラム形式(大きな胸当て状)のペンダントです。372個の色とりどりの半貴石が金の七宝で象嵌され、取り外しが可能となっています。
留め具の精緻さや裏側の彫りも見事なペンダントを飾る、濃い青色の石は、アフガニスタン産のラピスラズリであり、当時のメソポタミアを経由してエジプトまで運ばれた流通経路は、容易に想像することができます。
腕輪や腰飾りなど一連の宝飾品は象牙の箱に納められ、シタトリュネット妃の墓に埋葬されていたのです(注14.)。
もう一つは、世界的センセーションを巻き起こしたツタンカーメン王(在位;紀元前1336-紀元前1327年頃)の黄金のマスクです。
<ツタンカーメン王の黄金のマスク>
純度の高い金で作られたマスクの額には上エジプトの守護神ハゲワシの女神ネクベトと下エジプトの守護神コブラの女神ウァジェトを戴き、広襟飾りにはトルコ石、石ガラス、そしてラピスラズリが使われています(注15.)。

〈ツタンカーメン王の黄金のマスク/エジプト考古学博物館蔵/新王国時代 第18王朝/紀元前1333年-紀元前1324年頃/提供:Robert Harding/アフロ〉
考古学上、非常に重要かつ世界一有名なこのマスクは、1922年イギリスの考古学者ハワード・カーター(1874-1939年)により、王のミイラとともに発見されました。当時、大量に使われることがなかった金がなんと約11kgも使用されていたのが特徴です。

〈ツタンカーメン王の墓から発見されたスカラベのペンダント/提供:Bridgeman Images/アフロ〉
また、ツタンカーメン王の墓からは、これらの宝物を含む200点以上の宝飾品が発見されています。スカラベのペンダントは金とラピスラズリを含む半貴石からできていました。古代エジプトではスカラベは日の出の神ケプリと同一視され、再生の象徴とされていたのです。
この黄金のマスクは、本人の存在を再現するようにミイラの上に置かれていました。非常に高度な技術で作られ、装飾を除けば、金だけでできており、太陽のように神々しい光を放っていたのです(注16.)。
文:槐 健二
注8. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.12
注9. 2017.「Pen 古代の美を探して、エジプト」 株式会社CEメディアハウス p.83
注10. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.12
注11. 2017.「Pen 古代の美を探して、エジプト」 株式会社CEメディアハウス p.72
注12. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 pp.12-13
注13. 山口遼 著 2005.「すぐわかるヨーロッパの宝飾芸術」東京美術 p.13
注14. 2017.「Pen 古代の美を探して、エジプト」 株式会社CEメディアハウス p.10
注15. 2017.「Pen 古代の美を探して、エジプト」 株式会社CEメディアハウス p.64
注16. 2017.「Pen 古代の美を探して、エジプト」 株式会社CEメディアハウス p.86