『ロイヤル・アッシャー、輝きの物語』では、創業170周年を迎える“ロイヤル・アッシャー”の魅力を業界の有識者、及びブランド関係者それぞれの視点、角度から語っていただくことで、170年の歴史を辿るとともに、新たなブランドの魅力を来年の1月までの全6回でお伝えしてまいります。第5回は、アッシャーファミリーとも親交が厚いアルト・ヤコビ元駐日オランダ大使に、オランダにおける「ロイヤル・アッシャー」の貢献と日本市場での歩みを振り返っていただきました。

歴史とクオリティに裏打ちされた先見の明

創業165周年を記念してオランダ大使公邸で開催されたイベント『DIAMANT ACADEMIE Unveiling Artisan of Diamond Cutting-165th years of legend-』では、色とりどりのチューリップが会場を彩った。

―「ロイヤル・アッシャー」はオランダにおいてはどのような存在でしょうか?

「ロイヤル・アッシャー」はオランダで最も有名なダイヤモンド企業のひとつとして知られてきました。その歴史は古く、1940年以前はダイヤモンド業界を席巻していました。ですが、オランダ侵攻(1940年5月10日、ドイツ軍がオランダとベルギーに同時攻撃を開始)によって資産は没収され、従業員の大半は強制収容所で命を落としたのです。

しかしながら、アッシャー家は戦後に再建を果たします。カットと研磨こそ海外に拠点を移しましたが、アッシャーのメンバーは新しく斬新なカットを生み出し、素晴らしい創造性を発揮しました。その重要性と歴史は、1980年にオランダのユリアナ女王から“ロイヤル”の称号を授与されたことで認められたのです。

―ダイヤモンド産業は現在もオランダの主要ビジネスなのでしょうか?

オランダにおけるダイヤモンド産業の地位は、今となっては華々しいものではありません。前述したように、カッティングの大半はアントワープやインドなどが主流です。それでも、「ロイヤル・アッシャー」の名はオランダのみならず、ダイヤモンド業界において依然として大きなウェイトを占めています。

創業165周年記念イベント時に駐日大使を務めていたアルト・ヤコビ氏。すぐ隣にはエドワード・アッシャー名誉会長の姿も。

―親日家であり、日本にも長く駐在していらっしゃったヤコビ氏から見た、日本人や日本社会の印象はどのようなものでしょうか?

日本への私の印象を語るなら本が書けそうですが、それだと都合がよくないですよね、簡潔にお話ししましょう。

日本社会は非常に規律正しいと言えます。形式を重んじ、誰もが自分の立場をわきまえ、それに従って行動します。どんな状況にも対応できる形式があります。日本の方はあらゆる面で完璧を求めますし、仕事に対する個人の献身とコミットメントには比類ないものがあると感じます。

一方で、ミスを犯すことは痛みを伴うため、集団で物事を決める傾向があるのではないでしょうか。即興を得意とする国民性ではないため“サプライズ”を喜んだりすることもないのですが、それでも独自性や一体感、社会的責任感の強さから、日本は私が知る限り最も安全な国だと思います。

そして、天然資源をまったく持たない国がどうやって第一級の産業大国になれたのか、これは本当に感心に値すべきことです。

大使公邸のバルコニーから見える庭園。日本とオランダの友好を表するフラッグとブランドのロゴが飾られた。

―そんな日本において「ロイヤル・アッシャー」が1965年の上陸以来、約60年もの間、支持されてきたのはなぜだとお考えですか?

「ロイヤル・アッシャー」がこの60年近く、日本で受け入れられ、高く評価されてきたのは、日本市場のニーズを理解しているからです。日本では常に最高峰のクオリティを提供せねばなりませんし、顧客への揺るぎないコミットメントが求められます。

また日本は、外国企業が参入するには最も難しい市場であり「日本で成功できれば、どこの国でも通用する」と言われています。それは事実で、日本での成功を手にするためには、通常のサービスや品質レベルを超えなければなりません。「ロイヤル・アッシャー」はこのことを理解していて、それが日本で継続的に成功を遂げ、愛され続けてきた理由だと感じます。

―上陸した1965年当時、日本とオランダの貿易は活発だったのでしょうか?

すでにフィリップスなどの多国籍企業がビジネスを開始していましたから、「ロイヤル・アッシャー」が最初だったわけではありません。ですが、「ロイヤル・アッシャー」は日本市場のポテンシャルに気づき、他のオランダ企業より先を行っていたことは間違いないでしょう。

―その意味でも、「ロイヤル・アッシャー」は日本とオランダをつなぐ存在であり続けてきたということですか?

日本とオランダの間には、私たちが特別な歴史を共有しているおかげで多くの架け橋が存在します。江戸時代にあっては、オランダは約250年にわたり日本との貿易を許された欧米では唯一の国でした。

その歴史を振り返ってみても、60年もの長きにわたって日本とのビジネスを続けてきた企業は多くはないわけですから、「ロイヤル・アッシャー」は非常にユニークな存在だと言えるでしょう。

イベント後にプレス関係者と歓談するヤコビ元駐日大使とトモコ夫人。

―大使として日本でのオランダ企業の発展を支援する立場にあったヤコビ氏にとって、「ロイヤル・アッシャー」に関する思い出深い出来事は?

駐日オランダ大使時代に私の公邸で行われた、2019年5月のイベントのことはよく覚えています。「ロイヤル・アッシャー」は日本での総代理店である株式会社内原と一緒に、選ばれた顧客を迎えて特別な内覧会を企画しました。

公邸のパブリックスペースは全面このイベントのために演出され、現在の代表であるマイク・アッシャー氏がオープニングスピーチを担当しました。今でもあのイベントの温かい思い出がよみがえってきますし、来場者のみなさんも同じ感動を共有していただいていると思います。

左から、内原一郎・株式会社内原 代表取締役社長、エドワード・アッシャー名誉会長、トモコ夫人、アルト・ヤコビ元駐日大使。

―ヤコビ氏ご自身も、アッシャーファミリーとは長く親交を育まれてきたそうですね。

アッシャー社とは実に長い付き合いです。私が初めて日本に赴任したときに、ヨープ・アッシャー氏(5代目社長エドワード・アッシャーの兄)とエドワード・アッシャー氏に会いました。それがおそらく1990年代初めのことで、以来ずっと連絡を取り合ってきました。

2012年から2015年にかけて大使として中国に赴任した際には、マイク・アッシャー氏と頻繁に会っていて、その後日本に着任してからも交流を続けていました。そして最後に、アムステルダムのロイヤル・アッシャー本社を時折訪問したことも良い思い出のひとつです。

―創業170周年を祝う「ロイヤル・アッシャー」にメッセージをお願いします。

「ロイヤル・アッシャー」の先見の明と日本へのコミットメント、そして創業170周年を迎えることに心からご祝辞申し上げます。
これほどの長い期間、ビジネスを成功させたと主張できる企業は、真に稀だと言えるでしょう!

PROFILE
Aart Jacobi(アルト・ヤコビ)
親日家として知られ、ライデン大学で日本学を、また京都大学大学院の法学部で学んだ経歴を持つ。1980年代にハーグの外務省でキャリアを開始。南米スリナムと中国で大使を歴任、2015年から2019年までオランダ大使として日本に駐在した。京都はトモコ夫人との出会いの地でもある。

Text: Aiko Ishii